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10.01.2008

 会員を知る:シリーズ”私の仕事”

Vol.1 小林貢さんに聞く・・・2006年夏 

1972 日本ガラス工芸協会設立メンバー
1993 日展にて特選
2005 小林貢展 三重県パラミタミュージアム
現在 日本ガラス工芸協会監事

私は理事長を引き受けるに当たり「会員に必要な協会とは何か」と考えてきました。そんな中で協会の成り立ちが知りたいと思い、 設立時からの会員であり、発起人会、設立準備会全てに出席されている小林貢監事から公平な立場でその当時の様子や苦労話を伺 いたいと思います。(聞き手:藤田 潤)

・小林さんには、どこから日本ガラス工芸協会設立の話がきましたか?
=誰から最初に話がきたかはよく覚えていません。
 僕は1967年に初めてガラスで日展に入選しましたが、それ以前には鋳金で日展に出品していてガラスの作家とは全くお付き合いのない状態だったんです。その話が出た頃には3〜4回ガラスで日展に入選していたので僕にも声がかかったんだと思っています。

・他の工芸分野でも会を作る動きはあったようですが、世間にそんな気運はあったのでしょうか?
=確かに1960年代から1970年代にかけては、僕が今所属している現代工芸美術家協会も出来、また10年位後にはその下部団体として、各地方会が出来て地方での活動と同時に日展のための勉強会が開かれるようになっていたし、ジュエリー協会*1や日本クラフト協会*2もその頃に出来ていることを見ると、やはりいろいろな創作分野の団体を作る気運があったんですね。
 今考えれば、当時日展でご活躍の岩田藤七先生、各務鉱三先生や岩田久利先生は日展でもガラスの仲間を増やしたいと思われたでしょうし、クラフトの人達にとっては当時ヨーロッパなどに出遅れていたガラスデザインの気運を高めたいとの思いもあったと思います。僕自身もガラス担当になる前はノリタケに居ながら多治見の陶器工房で灰皿やカップソーサーを作ったり、岩手の鋳物屋さんで鋳鉄の文鎮を作ったりしてクラフト展に出していましたから、作品の発表の場を求めている人も多かったと思います。
*1:1964年創立、現(社)日本ジュウリーデザイナー協会
*2:1956年に設立された日本デザイナークラフトマン協会から1976年(社)日本クラフトデザイン協会となる。

・第一回発起人会で「個人として参加」「展覧会を開催」という方向が決まっています。ただ58人中48人は企業に所属していました。賛助会員に企業を募り、(設立時21社)、各デザイン室の親睦を計るように見えますが。
=初めの頃の会を作ろうという話し合いは僕よりも大先輩の方々が多くおられたから多分いろいろ話し合われていたでしょう。その辺の話は全く分かりませんが、第一回の発起人会はそんな中から僕を含め何十人かに声がかかり開かれたと思う。そこで「個人として参加」「展覧会を開催」という事になったと思います。活動の為には資金が必要であり、賛助会員の制度もその時にやろうと言う事になったんでしょう。
 発起人となった人達は、企業内のデザイナーや、かつて企業で働きその後フリーとなった人達が多かったし、当時は会社の中で自分の作品の制作や個展を開くのは大変難しい時代でした。僕も企業の中にいたのですが、幸い自分の作品を作って日展に出品する事ができましたが。当時はガラスの作品を発表する場は日展の工芸以外にはないような時代で、そこに出品していた方達は各務クリスタル、福岡特殊硝子といった企業の人達で非常に恵まれた方々と言えますし、個展などで発表していた藤田喬平先生のような気概の人はごくまれという状態でした。だから企業にいる人も、自分の作品やデザインしたものを自分の名前で発表する場が欲しいと思っていただろうし、決して親睦を目的としようとは思っていなかったでしょう

・設立準備会の雰囲気はどういう感じでしたか?
=もめた記憶はありません。基本方針ははっきりしていたし、ガラス創作のいろいろな分野の人に声をかけ、なるべく会員を増やそうという考えだった。
 推薦があれば審査などなく、一緒にやろうという感じだった。7月に始まって翌年の4月までに13回準備会を開いた記録があるとのことですが本当によくやったと思う。
 そうじゃなくては半年位で設立総会までもっていけませんね」。

・同じデザイナー同士でライバル意識のようなものはなかったですか?
=そういう感じは無かった。ガラス業界はまだデザイナーは生まれたばかりの職種だったし当時はガラスや陶磁器などでは、特に北欧のデザインに関心が強く、海外からの情報も共有して一緒に学ぼうというような気運があったように思います。

・設立総会、披露パーティーには来賓、招待、マスコミ、賛助会員、会員 94名をこえる出席があり、お土産(ガラス小品持ちより)161個と記録されています。盛大なパーティーでしたね。
=当時第一線で活躍しておられた評論家、学者、美術館の方や他の団体の方などが多く来て下さいました。ヨーロッパなどと比較して日本にもっとガラス工芸やデザイン分野に新しい作家やデザイナーが育って欲しいという期待を持って来て下さったんでしょう。

・小林さんは会則案作成委員にもなられていますが、どんな点を苦労しましたか?
=いろいろな団体の会則を持ち寄ったりしました。美術団体のもあれば、岩田糸子さんの関係していた婦人の文化的な団体のものもあったと思う。
 そういうものをたたき台にし、会則には大体ひとつの定石みたいなものがあるので、それに我々の会らしさを入れていったと言うことでしたが。
 例えば、当初の役員選出方法は指名委員会により選出して総会に計って決めていましたが、十年ぐらい後に、まず代議員を全員投票で選び、代議員が再び投票し選出する方式になりました。その後は会員全員による直接選挙で選出する現在の形になっています。時の流れの中で必要に応じいろいろ改正して行けばよいと言うことでした。

・設立後、懇話会一年で11回となっていますが、
どんな事をしましたか?

=会員全員を1回、4〜5人位に分け「ガラスと私」というテーマで自分の仕事や色々な考えや思いを話してもらい会員同士がよく知り合って行こう、そしてそんな中から協会の活動の方向も見つけようとしたわけです。皆さん関心をもっていて主席率も大変よかったと記憶しています。
 小柴外一さんのパート・ド・ベールの話なんか、僕は鋳金出身だから何時かやってみたいと思ったし、皆さんもガラスの仕事そのものを幅広く知る機会になったと思います
 その後数年の間に「話す会」「見る会」「聞く会」などの企画で,見学旅行や講演会などをしました。

・1974年 鎌倉の近代美術館で「日本のガラス展」が開催されました。創設2年後です。選抜展でしたがどのように決められたのですか? また、その1年後に発行された第2回会報には「責任問題が出て、役員の信任投票を実施した。」と記されていますが。
=今こうしてその時の図録を見ると作品写真の点数が極端に少ないし、出品目録に名前や作品名があっても陳列されない人もあったということであれば、問題になるのは当然のことでしょうね。当時選抜がどのように行われたかは僕には全く分かりませんし、役員の信任投票のことも申し訳ないがよく分かりません。
 このことと関係ないかもしれませんが,この展覧会の入場料300万円が協会に入ったということは聞いていました。それが後に,協会独自の力で「日本のガラス展」を開催するのに役立つことになりました。 

・最後に、小林さんは常々「会員であることに誇りを持てる会に」とおっしゃっていますが、現在の協会にひとことありましたらお願いします。
=会員である事に誇りが持てるということは、協会が社会から認められていること、そして会員になって良かったと思える運営がされていることじゃないかと思う。
 今迄に10回もの日本のガラス展を成功させてきたし、これからも会員全員が「日本のガラス展」に「自分の作品はこれだ」と言える質の高いものを発表し続けることや、現在いろいろ委員会で計画を進めているインターネットの活用など外部との結びつきを深めて行くことも大変重要なことだと思います。

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