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20.01.2008

 会員を知る:シリーズ”私の仕事”

Vol.4 渋谷良治さんに聞く・・・2007年9月 

1997「メイドインジャパン展」エベルトフトガラス美術館、デンマーク
1999「日本のガラス2000年展」サントリー美術館
2001「国際ガラス展・金沢」('84,'88,'90,'92)
2004「ガラスの迷宮展」石川県能登島ガラス美術館


 来年9月に開催する「'08日本のガラス展」では主会場の会員展とは別に、指名公募のかたちで「ヤング・ジェネレーション展」(仮称)を企画しています。今回のインタビューは永年ガラス美術教育に携わり、若い人々に接点をもっている渋谷良治さんに登場していただきました。(聞き手:藤田 潤)

・1981年多摩美術大学彫刻科を卒業。その年に東京ガラス造形研究所入学ですが、そもそもガラスに興味を持ったきっかけは何でしたか?
=大学の図書館でアメリカのスタジオ・グラスの本を手にし、その中にハワード・ベントレの作品を見つけました。ガラスで鋳造が出来ることを知り、頭を殴られるくらい大きな衝撃を受けました。僕の頭の中にはガラスは器というイメージしかありませんでしたから。多摩美の3年の時、由水先生の授業でガラスの実技をさせてもらいました。ガラスの素材を知れば知るほど興味が出て、このまま彫刻の道に進もうか、あるいはガラスの道に行こうかと大変悩みました。しかし、失敗しても今自分が本当に興味のあることをしようと思い、踏ん切りがつきました。たまたま東京ガラス工芸研究所が設立されると聞いて、学生ではなく助手という身分で入りました。授業に出ることは可能だったのですが、立ち上りだったので忙しく、なかなか時間を取ることは出来ませんでした。2年間助手を務め、研究生としてその後1年在学しました。

・東京ガラス工芸研究所を卒業してすぐ、オランダのヘリット・リートフェルト美術大学に留学されますが、オランダでの教育はどのようなものでしたか?
=多摩美にいた頃から、外国の大学のガラス科は調べていました。アメリカもいいなと思いましたが、文化的なことも大事にしたいと思い、ガラスだけでなく、生活のなかで他の芸術も吸収したかったので、リートフェルトが自分の仕事に一番近いと思いました。リチャード・マイトナーやミーケ・フルートという先生方もさることながら卒業生も素晴らしい仕事をしていたのでリートフェルトを選んだのです。ただ定員が9人で卒業生が出ないと入れないという状況でした。学生時代の彫刻からガラスに進んだ後の作品まで約100枚の写真に解説をつけ応募しました。家内は英語ができたので手伝ってもらったのですが、向こうへ行ってから僕は英語が苦手だというのがすっかり判ってしまいました。(笑)
 日本の教育とは全く違っていました。日本だと課題を与えられ、学生は答えるかたちですが、向こうでは一度ガラスを専門に勉強して入ってくる人達がほとんどでした。レベルは高く、皆自分の方向性がはっきりしていました。先生はそれぞれが週1回来て、アドバイスしてくれるのみなのです。ただ作品について先生も学生もよく語り合いました。語ることによって自分の世界を煮詰めていくということで授業は進んでいきました。1年目は「日本での延長線上」で制作していたのですが、迷いがありました。もうひとつの段階を超えなければ新しい仕事は出来ないという思いがあり、自分は何に一番興味があるのか真剣に考えました。「時の重なりから生まれてきたもの」それが自分の答えでした。私は夏休みを利用して八カ国、ヨーロッパの遺跡を訪れました。その結果生まれて来たのが「時の記憶」というシリーズです。ここで初めて自分の進むべき方向が見つかった気がします。
 今思うとリートフェルトでは作家にとって必要なことを学べたと思います。学校の中にも美術館やギャラリーの方が結構来て、同級生が自分を売り込む姿が刺激でした。待っていてはいけない、自分から行動を起こさないと何も始まらないということが良く分かりました。オランダにいた2年間がなければ現在の自分はないという気がします。

・キャスト技法を続けていらっしゃいます。「キャストは時間や意識を鋳っていく行為」とも書かれていますが、自分の性格にあっているということですか?
=僕自身はガラスを素材としてとらえています。外の形と内側の空間を同時にもつ素材としてのガラスに興味が大きかったので、鋳造の方法は一番自分に合っています。じっくり時間をかけ、自分の手を通して作っていきます。時々の思いや重ねて来たものを同時に封入していく行為は、自分にとって納得のいくものです。

・1991年富山ガラス造形研究所開設と同時に指導者として赴任されていますが、ガラス美術専門の教育機関を作るという主旨ですね?
=1991年に学校は開設されましたが、その2年前から準備に携わり、設備、カリキュラム、人材等全て初めからかかわりました。北陸は各地に伝統工芸があるのですが、富山は特にありませんでしたから、ガラスはこれから伸びていくだろうという当時の市長の思いもありました。将来は地場産業にも結びつけ、文化の発信と産業の育成を考えた上でのガラスの学校です。先ず市民大学ができ、一般の方がガラス工芸を体験することから始まり、その後に学校が出来たので市民にも理解してもらった上での育成でした。
 ただここは、ガラス作家を育てることがメインです。プロの作家になる為に必要なことを教えるという教育なので、他の学校とはかなり違うと思います。

・富山ガラス造形研究所の入試は難関で、倍率も高いと聞いています。また一度美術系の大学を卒業した人も多く受験するそうですが、入学者の意識は高いでしょうね?
=普通、美術大学で行う教育というのは自分の方向性を見つける為の素材としてガラスを扱うのですが、富山ガラス造形研究所の場合は、将来自分が作家としてやっていく上で何が必要なのかという観点に立っての教育です。授業でもアメリカやチェコの先生を招き、国際的な視野に立ってガラスをとらえています。学生達に常に刺激を与えられるような場を持ちたいというのが当初からの方針です。卒業しても8割以上は何らかの形でガラスに携わっています。

・2年間で基礎的なことから、発展的なことまで学び、卒業生や在校生は各地のコンペで入選、入賞なさっていますが、授業の密度が濃いのですね?
=造形科2年、研究科2年ですが、研究科は4名しか採らないし、外部からも来るので通常2年で終了します。その2年間で一通り全てのことを経験するカリキュラムになっています。学生たちの課題は大変な量です。私が見ていても大変だと思いますが、これまでの卒業生も皆こなしてきましたし、それが良い経験であったと言ってくれます。だんだん絞り込んで卒業制作になります。
 研究生になると社会に対してどう取り組むか、自分をどのようにアピールするかを授業で展開します。富山には個人の工房もあるし作家も多くいるので身近に作家像が見えます。アルバイトをしながらレンタル工房を借り作家活動をしていくことも出来ます。ギャラリーも頻繁にガラス展を開いてくれます。若い作家が制作しやすい環境を市も提供してくれます。先日も国際ガラス展において、富山関係で6名受賞しました。卒業生や在校生もいろいろな公募展に出品し、受賞しています。

・美術教育の中でガラスという素材は何が特殊なのでしょうか?
=僕はそんなに特殊だとは思いません。技術、設備、経費などの特殊性はあるでしょうが、美術教育の中で特殊ではないと思います。ガラス自体のもつ美しさをどう捕らえるか、自分がどこの位置に立ち、どう将来を見据えていくかだと思います。

・若い世代のガラス作家は協会になかなか入ってきません。何が問題だと思いますか?
=昔、自分が始めた頃と比べると現代はガラス教育が確立されたと思います。外国に行かなくても学べるし、情報を入手することはとても易しくなりました。発表の場も開かれています。団体に入らなくても社会へ発表する場は個人個人で持てる時代になって来たことがひとつだと思います。他の団体でも共通の問題ですし、会に入ることによって目に見える形で得られるものがないと難しいかも知れません。若い人にはお金の問題もあるし、3年に1度の展覧会ばかりでなく、若い人が興味をもつような企画があればと思います。

・日本ガラス工芸協会への要望や、今考えていることがありましたらお聞かせください。
=役員の方は一生懸命仕事をしてくださるのですが、会員同士でひとつの話題、人的交流がもう少しあっても良いのではないでしょうか。 
 ガラス教育機関の集まりを年1回開いています。来春に各学校の卒業制作を集めた展覧会を企画しています。ガラス美術に対する美術館の関心もこの所停滞している気がします。ガラスという素材の美術を社会へアピールする為、全国の教育機関が集まって東京で開くことに意義があります。恒例になれば社会の意識が違ってきますし、もの作りを目指す若者に興味を持ってもらえると思います。
 富山に住んで18年。富山市のガラスの取り組みは、少しずつ広がりを持って進んでいます。将来はガラスの美術館まで建てる計画があります。一連のことが完成するまで、私は見届けたい思いです。 

・ 貴重なご意見、ありがとうございました。

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