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04.03.2008

 会員を知る:シリーズ”私の仕事”

Vol.5 岩崎隆さんに聞く・・・2008年2月 

1966 東京芸術大学美術学部工芸科卒業
1988「世界現代ガラス展」北海道立近代美術館、札幌
2005「カトリック神戸中央教会ステンドグラス」
2006「浦和福音自由教会ステンドグラス」


今回のインタビューは協会創設当初からの会員でもあり、ステンドグラスの分野から岩崎隆さんに登場していただきました。
(聞き手:藤田 潤)

・ステンドグラスに進むきっかけは何だったのでしょうか。また技術はどこで学びましたか。
=芸大卒業前、古美術研究旅行というのがあってね、倉敷の民芸館だったか、ブルーのガラスを見てきれいで、将来こういう方向に進みたいなと思った記憶はあるんです。当時学園が荒れていて、3月に卒業してもまだ進路を決めてなかったんですが、たまたま新聞で大竹ステンドグラスの求人があって訪ねてみました。廊下にアンティークガラスの板が並んでいて、陽射しが当たってきれいで、「仕事をさせて下さい。」と言ったら「直ぐ翌日から来てください」ということで、結局そこで10年近く働く事になりました。「画室」と「工房」に分かれていてね、「工房」は実際に作る所。「画室」はデザイン、原画、色決め等美術的な仕事をする場所でした。僕は「画室」のほうで、実際には作らなかったんだけど大竹さんの仕事を見ていたから自然に覚えてしまった。
 その頃、佐藤潤四郎さんに出会って、ガラスの世界の教えを受けたり、将来のことなども相談にのってもらいました。ガラス界の集まりがあるので来ないかと言われ、出て行ったのがガラス工芸協会設立準備会でした。潤四郎さんは結局この会には参加されなかったのだけれど、僕は準備会には毎回出席した記憶があります。ガラスの世界の事を藁でもつかみたいと言う気持ちだったから、それに未だ20代だったしね。
 生活していくのも大変だったし、三越で初めて中途採用をするという話があって応募したら決まりました。僕は建装部で住宅や店舗の内装の仕事でね。社内ではステンドグラスの制作に携わることはなかったのだけど、自分の時間でライフワークとして制作は続けていました。新入社員の研修会ではひとまわり以上齢の違う若い人たちの中に混じっていたので違和感はありました。でもサラリーマンをすることで社会性というか社会のルールやマナー、酒の呑み方まで必要なことを学べたのだと思います。
三越に丁度10年勤めた頃、渋谷のある商事会社からヘッドハンティングのような形でさそわれました。ステンドグラスの事業をゼロから始めるということで工房やショップ約20人のチーフとして、仕入れ、販売、制作と全てのことをしました。バブル景気が始まる前でしたので、業績は急成長し、すぐに役員にさせられました。人事、給与査定、弁護士、銀行とのつき合いなど経営の仕事も同時に身につけることが出来たと思います。国会議事堂や首相官邸など大きな仕事もしましたが、10年で辞めることになりました。その頃のことを思い出すと、一遍の小説が書けるくらい今も辛い思いが胸に浮かびます。
 ステンドグラスのような手の仕事というのは組織ではない。一人の作家の目が隅々まで行き渡って愛着のある仕事をしたい。建材としてのステンドグラスではなく作品としてのステンドグラスというレベルまで引き上げたいと思っていたので、その為には独立してやるのが一番だと思いました。それまで培って来た設計事務所等の縁を全て断ち切っての独立でしたから怖かったです。今もそうですが、命網のような細い糸が一本あって、2〜3ヶ月はこの糸にすがって生活し、これが終わるとまた次の糸をたぐり寄せてということを続けています。時々個展という形で発表もしますけど、それは制作の方向性を示すもので実際の生活を支えるのは建築空間での仕事です。

・ステンドグラスは主に建築の中に組み込まれます。施主の意向、設計者の意向を汲んで自分の作品にすることの難しさがあると思いますが、対立する事もありますか?
=よく画家が原画を描いて、それをステンドグラスに直すと言う方法がありますが、これだともう妥協の余地はありません。僕の場合、三者で時間をかけて話し合い、意向を全て汲み取って、その上で自分の表現を見つけてゆくので対立するとういことはありません。常に、今できるものよりも一歩進んだもの、あくまで芸術的により深化した表現を目ざそうとしています。「作る」ということは極端に言うと誰でも出来ることだと思います。かつてはステンドグラスを作れるというだけで価値がある時代もありましたが、重要なのはあくまでもデザインでオリジナリティーがあるかどうかが作品の生命だと思います。教会等の場合計画に2年かかり、制作は数か月というところでしょうか。

・最近のお仕事はキリスト教会の制作が多いようですが、ステンドグラスの生まれた場所であり、伝統のある空間です。やり甲斐と同時に難しさも多いと思いますが?
=キリスト教会でもカトリック、修道会、プロテスタント皆それぞれ少しずつ意向は違います。聖堂の窓というのは教会建築の中でも非常に重要な要素です。外界と全く遮断してしまうのも落ち着きませんし、天候や景色など外の雰囲気を何となく中に伝えないといけません。どういうデザインにするかはいろいろ勉強します。聖書の話し、キリスト教の絵画、壁画等調べます。ただフランスのゴシック時代のステンドグラスは僕にはあまり役に立たないと思っています。

・岩崎さんのステンドグラスには必ず透明な部分があり、外の景色を見られるようになっていますが、どのような意図ですか?
=外界があって、遮断するステンドグラスがあって、内側に人間がいて、精神的なものが行き来するようなステンドグラスを作りたいと思っています。見た人がどういう形で何がどう変わるのかわかりませんが。この間、京都のプロテスタント教会の窓を作ったときのことです。一つの窓から隣の古いアパートの汚い水槽が見えていました。それに一段ずつステンドグラスを積み上げていくと汚いものが隠れて、ピタッと内側に「聖なる空間」が生まれました。そのときは本当に嬉しかったです。

・創作する時のアイデアやヒントはどのようなときに思いつきますか?
=今とりくんでいる仕事に没頭するんです。課題があるので資料を集めて構想を練る。デザインを何枚も描く、体調を整えて音楽もそれに合わせて聞く。発想しやすい環境をととのえます。そうすると夢の中にパッと浮かぶことがあります。日の出に起き、日没と共に仕事をやめて修道士のような生活をしています。役者の役作りと同じだと思っています。仕事場の名称をステンドグラス製作所とはせず「岩崎アトリエ」としたのもそこにあるんです。何度も作り変えて自分の感性的レベルを上げていくという制作の態度をステンドグラスの中に持ちこみたかったのです。原画があって予算にあわせて制作するのでは下請けになってしまいます。折角、建築の中に入れて残っていくものですから労力を厭わず、いいものを残したいという気持ちです。高名な画家の原画を制作するのではなく、自分でデザインしたものをステンドグラスで作ることをしないと自分のレベルが上がらないと思いますし、日本の文化のレベルも上がっていかないと思います。

・日本ガラス工芸協会発足時からの会員ですが、当時の思い出は。また現在のガラス工芸界の状況はどう思われますか?
=当時は皆、横のつながりを求めていたのだと思います。僕もガラス情報は何もない頃でしたから、入ったことで大きな意味がありました。他の人も同じだと思いますが、この団体があったからお互いに励ましを与えられたのではないでしょうか。ガラス工芸というものを社会に認知させてきた役割は大きかったと思います。
 近年になってガラス会社の不振からデザイナーの人たちが少なくなったというのはとても残念です。企業に在籍している人達というのは社会を見る目、世界を見る目というのがちゃんとしていると思います。作家が本能的な目を持っているのとは違って、彼らは広い視野に立って世界を見ているので僕は期待してました。
 ステンドグラスというのは中世に確立された技法ですから、もうすたれても良いようなものです。でもガラスの色には人の心に訴える力があるから、伝統の技術と新しいデザインで現代でも生き続けているのだと思います。ただ近頃のホビー化というか余りにも簡単にできるステンドグラスというのは、否定するわけではないのですが、少なくとも協会の作品展には避けて欲しいと思います。僕の目指す方向とは違います。
 この年齢になって今さらという感じですが、今一番しなくてはならないのは「個の確立」だと思います。人との交わりや会議の為に時間を使いたくはありません。自分が自信をもっていい作品を制作して、展覧会に出品し、建築の中に残してゆくことで会員としての誇りもあり、使命を果たせるのかなと思います。勉強する事は沢山あります。相当な数のステンドグラスを作って来ましたが、なんとなく物事が解る年齢に達して、今が最高のチャンスです。10年毎に人生の節目を迎えてきましたが、自分のアトリエがあって気がねせず、自由に制作できるのは最高の環境だと思います。

・ ありがとうございました。

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