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18.04.2009

 会員を知る:シリーズ”私の仕事”

Vol.6 山田 輝雄さんに聞く・・・2009年2月 

1990 「’90 日本のガラス展」大賞
1994 「NEW GLASS REVIEW 15」収録 コーニング美術館 米国
1995 「国際ガラス展・95金沢」審査員特別賞 石川県産業展示館
1996 「第36回伝統工芸新作展」奨励賞
   (第47回 第48回東日本支部賞受賞)


今回は「’08日本のガラス展」で受賞した山田輝雄さんにコールド・ワークの分野から登場してもらいました。
(聞き手:藤田 潤)

1 ガラス工芸の道に入ったきっかけは何でしたか?
=家業でしたから。父親は山田栄太郎の息子に習ったんです。子供の時から父親の仕事は見ていましたし、知っての通り勉強は嫌いだったからね。30歳ぐらいの時、知り合いの切り子屋で黒川さんという方が伝統工芸展で受賞したのをテレビで見てね、我々と同じような仕事をしながらこんな世界もあるのだと知りました。それまでの二十代前半はツーリングとモトクロス出場で土曜の夜からバイク三昧でした。

2 修業時代はどのようなものでしたか。
=最初に覚えたのは竹の節から出ている葉3枚です。矢来切子が出来ると手の動きが分かるので、それからは自然に覚えるものです。保谷ガラスにオートメの28マシーンが入り、具象的な花模様の切り子の仕事が来るようになって30年経つかな。河合祥子さんのデザインがはじめで、それから保谷の花切子の仕事は殆ど私が試作しました。山本さんという人がいて、その人がデザインしたものを保谷の工場へ行って具現化するのを1年の内1カ月くらいしました。その時の経験はものすごく生きている。あの頃作ったものでまだ抜かれていないだろうなと思うものは沢山ある。車を小さくしたりして技術的な工夫をして保谷の仕事をしました。毎日同じことを続けるより、あーだこーだやってみることが好きだったんだね。

3 父親から学んだことは何でしたか。
=花切子を教えてもらった。半年くらいはずっと同じ仕事ですけれど何日やっても出来ない模様があってね、後に立ってちょっと手を持って教えてもらったらすぐに出来た。ある程度理解していれば少しの指導で身につくことが判りました。今、学生に教える時も黙ってみているようにしています。ある程度まで行けばちょっと教えればすぐ解るものです。
父親とは工芸の話は全くしませんでした。でも私が伝統工芸展に出品したり、仕事を休んでグラビールの勉強に行ったり、仕事を中断して作品づくりをすることには理解がありましたね。

4 1970年代後半以降、作品づくりを始められましたが、どのような経緯でしたか。
=それまで色々と伝統工芸展、現代工芸展見たり、民芸館へ行ったり、クラフト展を見たりしてました。「日本のガラス展」も勿論見ていました。私がもし出品するならどこなんだろうとずっと考えていてね、やはり伝統工芸が一番近いと思いましたし、ガラスでは「日本のガラス展」がなんでもありだったから、違ったものを出せるかなという考えでした。それで青野さん、小林さんに推薦してもらって入会しました。切子屋の内側にいたから、大海に出ていきたい気持ちもあったんだと思います。
 青野さんが各務を独立して、朝日カルチャーで教室を開くことになって、私はそこの最初の受講生です。

5 花切子はグラビールではないのですか。
=いや違うんだね。簡単にいえばグラビールは3次元。花切子は2次元なんだ。深く彫らなくても立体感を出すのが職人技なんだ。カガミクリスタルが昔作った花瓶でグラビールと花切子を混ぜたのなんかすごくいいのがあります。花切子は車が大きいんです、どんどん小さくしていけばグランビール的花切子になるけど。

6 伝統工芸展では「器作品」、ガラス工芸協会では「オブジェ作品」の傾向があるようですが、制作は分けて考えていますか。
=ガラ協は好きなことが出来るなと思って入ってきました。伝統工芸は技術があって、その上に立っての話だからね。伝統工芸は「卓越した技術」と「用の美」という主旨に合うものを作らなくてはいけないからね。でもそれだけだとどうしても欲求不満になる、自由なものも作りたいという考えもありました。でも最近ではガラ協も伝統工芸も同じような器形の造形作品に成りつつある。

7 最近のハツリを取り入れた器などその例ですね
=切断機で刻んで、サンドブラストした作品が最初に受賞したのは95年に金沢国際ガラス展で、審査員特別賞でした。96年に伝統工芸新作展で奨励賞を受賞した時は、よくあれが対象になったと思ってね、こういう時代になったのだと思いました。最近の伝統工芸で感じるのは技術というか完成度だね。やっぱり光るところは光ってなきゃダメなんだ。磨きは手間がかかる仕事です。
 手が動いていないと新しいものは出来ません。グラスなんか小さいもので1個作っても手間がかかってコストは合いませんが、もしこれを習作として大きな作品に発展できればなあと考えながら作ります。一つのことやっていると飽きちゃうし、中断してそのままっていうのも結構あって、「今ならこうする」と思って、手直しすることもあるんだ。他人と同じことする気は全くないんでね。

8 機械や建築設計図を連想する作品もありますが、興味の源泉は何ですか。
=電気屋の友人がいて、部品もらってそれを見ていると、基盤ひとつだって街だと思う。工場地帯の俯瞰図と一致するし、遺跡も同じだと思う。金型、発掘現場の鳥瞰図、給水塔、熔高炉、管楽器、私の頭の中では皆同じなんだ。訳のわからない部品結構集めて、きれいだと思い眺めています。スクラップも一杯とってあります。そうすると傾向が分かるのです。

9 教育現場での経験も豊富ですが、どのようなことを感じますか。
=若い人と一緒に展覧会などよくしますが、気を使わなくていいから楽しいね。学校で講評する時、彼らもこの人どういうこと言うかとよく聞いています。こちらが試されているようなものです。私が刺激されたいなと思うけど、実際はあまり無いな、コールドって学生はあんまり進んでないですからね。
 教えに行っても、道具から作らなきゃいけないことが多くてね。コールドやる学生は余りいないから道具がいい加減で、水きり一つ無い。急の間に合わせで作るのですが、1年経ってまた行くとそのままで…それじゃしょうがないので、最近は断わっています。2〜3日間では何もできないしね。

10 この際 日本ガラス工芸協会に発言することは。
=若い人がやってくれなきゃダメだといつも言ってます。会に入って何かしてくれると思ったら間違いだ。自分が必要とする何かを会の中で作って行けということだと思う。どっかの展覧会の図録と今回のガラ協図録とレベルが違うと思ったのは事実です。公募と全会員出品という主旨が違うのは分るのですが、その違いをプラスに転じられないのかな。
 協会で企画する展覧会が沢山出来たらいいと思う。昔あった「聞く会」で船越さんや武田さんの美術論のような話を聞けたのはいい経験でした。他の会では研究会として美術館の収蔵品を見せてもらうようなことも計画している。こんなことも面白いんじゃないかな。
 この土地には7歳の時に越してきました。保谷(ガラス)の仕事のお陰で家も建てられたし、いい時代に生きてこられたと思うんだ。この先いつまで出来るか分からないけど、今が一番いいと思っている。作品を作っていられれば楽しいし、数をこなす仕事より作品づくりの方が仕事の質が上がると思う。これまでの蓄積を発揮できるのが今だと思うね。知識と技術は年とった方が上です。根気と体力がなくなった分、そこをカバーしようとする手段はあるのだけど今は言えない。もっと早く気がついてガラスを一生懸命やっていればと思うね。学生がうらやましいよ。

・ ありがとうございました。

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