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Dec.23.2010

 会員を知る:シリーズ”私の仕事”

Vol.9 塚村剛さんに聞く・・・新しい会員−ザギングによる色硝子表現


 今回はキルンワークの分野から、山谷硝子のデザイナーを経て、その後独立され独特の作品を制作している塚村剛さんです。奥様の香織さんも同席していただきました。聞き手は栗田理事が担当しました。

1 硝子の世界に入られた経緯、動機などをお聞かせください。
=学生時代、プラスチック工芸科に在籍していましたが、I.Dよりの志向が強かったです。卒業と同時にデザイナーとして山谷硝子に入社しました。そこで松添さんから指導を受け、テーブルウェア全般のデザイン、金型を起こす為の石膏原形の制作等の作業をやっていました。又、休み時間には吹き硝子の現場で職人さんたちとディスカッションをしながら硝子の造形を試みていました。

2 何年位居ましたか。そしてその後は?
=5年半位でした。その頃(90年代初め)スタジオ・ガラスが結構盛上がっていました。美術館での展示も数多くあって、麻布美術工芸館等もよく見て回りました。退社後は、練馬にある知り合いの吹きガラス工房で、吹き硝子の制作を続けていました。又、会社勤めの間に、自作で電気炉を作り、自宅でフュージングなどをやっていました。そして2003年に結婚し、今の工房をスタートしました。生活は厳しかったですが、なんとかやってきたという感じですね。

3 奥さんとしては当時どうでしたか?
=香織:やり始めてからはやはり大変でしたね。経済的基盤をしっかりしようということで教室を開くことと、展示の機会を多くしようと考えていました。ゼロからのスタートでしたので、試行錯誤の連続でした。

本当に1人では出来ませんでした。後押ししてもらって・・・。(笑)

4 最近工房運営での問題点は?
=吹き硝子に比べてランニングコストはずっと楽だったと思います。去年ここに引越して来たのですが、それまでは東久留米の店舗を借りて制作をし、住いは別でした。工房と住いを一緒にしたことで経済的負担は楽になりました。精神面で、仕事とプライベートの部分がごっちゃになってしまう・・・ここをうまく整理できれば、工房と住いをまとめたメリットはあると思います。

5 制作における基本的姿勢は
=電気炉の作業って、動の吹き硝子と比べて静という感じですので、出来上がった硝子も静であり、その魅力というものがあって、そこを追求してみたいです。それといかに炉の中で静かに硝子を動かせるかという、硝子の素材への挑戦の意味で、ザギングもそのひとつの技法として取り組んでいます。色がのびることとか、薄くなっていくこととか、自然の形とか、のびやかさとか今までのスランピングやキャスト、また吹き硝子とも違った感じのものが得られます。又、そういう行為自体が好きだということがありますね。電気炉の蓋を開ける瞬間が楽しい。ザギングでは蓋を開ける前と後では形が全く違っているので、その驚きというか、喜びに近いんですね。そこのところがやめられないですね。キャストでは、石膏型を壊す時の快感、喜びですね。こういった喜びが作品を手にした人々に自然と伝わっていければいいなと思っていますね。まず自分が喜んでいないとだめだと思いますね。教室の若い生徒さんたちも昔の私もそうでしたが、主張したいことが大前提にあって、それが達成出来ないものは認められないというか、そちらを第一に考えてしまい、少々頭デッカチになってしまっている。今私が思うことは、それも大切なことであるけれども、その前にものを作る行為の楽しさも大事ですよということです。

6 教室で教えていることは、そういうことですね。
=その通りで、あまり細かいことは言わずに、もの作りの楽しさを基本にしています。

7 ザギングによる色硝子の表現はいつ頃からですか。
=大分前からです。温度管理はシビアですが、生産性は良いです。

8 キルン・ワークではスケールの制約がありますが。
=大きいものは作らないのかとよく言われます。大きいものは、接着、組合せという表現になっていきますね。

9 これからの硝子工芸をどう見ていますか。
=硝子作家として生活していくことが大テーマですが、その為にはどうすればいいのか。ランニングコストといったことにも関わってきますけれど、今のところ仕事がなくて困っているということはなく、どちらかというとやれない、そこまで手がまわらない。個人工房で、人を雇っている方もいらっしゃいますが、そういう人をお手本にしてやっていければいいなとは思っています。あとは作った作品がどう受け入れられるかということです。大企業は硝子を広めようとする時どのようなことをしたのでしょうか。ヨーロッパでは硝子文化は根付いていますよね。

10 数10年前日本経済全体が右肩上がりでしたので、大量生産が可能でした。ですから、展示会、CM等を通して販路は広がっていました。今は市場も縮小し個人の好みも多様になり様変わりしています。規格品では物足りない状況もあります。個性的なものを求めているのかも。衣・食・住ということばで言えば日本は住の問題がいまだという感じはもっています。住空間の充実はテーブルウェアの問題、広く言えば硝子文化とも関連していると思います。
=山谷でデザイナーとしてやってきた器作りでは、何に使うとか、どの人達をターゲットにするとか生産性も含めて着地点を考えて、ゴールを決めておいてものを作るという仕事だったのですが、今こうやって個人でもの作りをやる場合に、それと同じことをやる必要はないし、そういう考え方ではなくて使い勝手から言ったら反することをやっているわけですけれど、例えばすごい色を使ったタンブラーには癖がありますけれど、その癖を気に入ってもらって、使ってもらうという部分というのはあると思って・・・。

11 そこにオリジナルが生まれると
=既製品が少なくなっていって個人作家のものが市場に流れていって。癖のある物が入っていってそれを受け入れる人達がもし増えるとしたらそれは有難いことで、ムーヴメントとして大きくなるといいなと思います。多分そういう癖のあるものが受け入れられるには、作る側が喜んでいるべきだと思います。最初に戻りますが、根底にそれは必要だと思います。例えば伝えたいことがあってするダンスと、理由はないけど体が動いてしまうダンスとどちらが力強いかというと後者の方だと思います。その方が力強いものが自然に伝わる気がするし。

12 協会に対する印象、期待するものは
=入会して2年になります。正直なところ、高名な作家がいて入会する前はちょっと構えてしまっていました。しかし入会してみて、権威主義的なところもなく、良い印象を持っています。硝子が世の中に受け入れられて定着させていくということなんですが、マスコミや広告等の力をきっかけとして、何か起爆剤的な意味で働きかけることがあってもいいかなと思っています。個人では無理でも、団体ではできることがあるかもしれません。

13 会の雰囲気は塚村さんにとっては良好であること、これからの展望ということでは世に対するインパクトのある行動がとれるかということですが。
=そうですね、作り手の力だけでなく、大きな力、ムーブメントが自然に起るというか、起すというかー。そういうことの専門的な知識をもった人を向えるとか。

14 かつて、高名な方が顧問としていましたが、文化行政のレベル、硝子文化を支える民衆のレベルの話になると思います。
=学校教育の話になりますが、硝子も陶芸も女子が大変多いと聞いていますが。

15 一言でいえば不景気の影響が大きいです。就職口がない。親の経済的負担が大きすぎる。そうすると男子は考えざるを得なくなる。
=もうちょっと硝子に携わっていてもしっかり生活できるという世の中になって欲しいです。

閑静な住宅街の中に住宅工房があり、落着いた雰囲気の工房でした。ものづくりに対する、塚村氏の真摯な姿が大変印象的でした。

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