日本ガラス工芸協会に入会して1年が経ちました。
多くのガラスの先輩方に様々なお話しをお聞きできることが、私にとっての大切な意義となっています。横山さんはそういった先輩方の中でも、以前から是非ともゆっくりお話しをお伺いしたいと思っていた方の一人です。ただ、そうは思っても恐れ多くてなかなか話しかけることさえ出来ないでいました。今回お話しをお伺いして物静かな印象とはうらはらに、心の内に秘めるガラスに対する熱い思いや協会に対する優しさなどを感じることが出来ました。(海藤)
東京芸術大学工芸科をご卒業とのことですが、大学時代のことをお聞かせ下さい。
=僕は金工科に入った。鋳金、鍛金、彫金と3科あって、2年からそれぞれ分かれるのだけど、僕は鋳金。
いろいろな素材がある中で金属を選ばれたというのは?
=とにかく藝大に憧れて入りたいということで、まずはデザイン科を狙っていた。二度失敗して、そのうち藝大に入るんだったら工芸科でもいいのかなと思い、、、最初から鋳金とか金属ということではない。芸術全般に憧れがあった。
4年間を美術的な、芸術的な環境で過ごしたことが僕にとってはもの凄く大きい意義で良かった。4年間に技術を学んだ、、、と言うのは一切無い。かなり遊んじゃった、、、かな。(笑)
図案科を狙っていたということは「デザイン」というものに興味があったのは間違いない。それは今でも一貫している。ガラスを作る時、僕の場合は“デザイン的なアプローチ”なんだね。
卒業後、日本陶器そして上越クリスタルにお勤めになりましたがその頃はどのように考えていらっしゃったのですか?
=卒業したら自立しなければならないと考えていた。就職。その時に“何がいいかな”と考えた。3年生くらいからかなぁ。当時からガラスというものが好きだった。表現素材としては自分の感性に合っていた。
日本陶器が厚木にガラス工場を作っていて、そこに入りたいなぁと思ってね。
ノリタケ(旧日本陶器)は良品主義でブランドもキチッとしてとても良かったし商品のクオリティも高い。良い物を作る会社なのだけど、それでも、自分がこれからやっていく上でこの会社が果たしていいかな?と思っていた。個性的な、デザイン的な物とか、北欧やイタリアのデザインのようなことはこの会社にいたら出来ないなと思っていた。その時、上越から「来ないか。」と誘われて、、、そこでは自己主張が出来るというか、、、、人の迷惑も顧みずにバッと移っちゃったんだよね。若気の至り、、、だね。
上越クリスタルに移り7年間デザインの仕事をやった。いながらにして独立したいという気持ちが強くて、、、会社の為にはどうだったのだろう、、、。(笑)
上越にいた時にもご自身の制作は出来たのですか?
=そればっかりやっていたんだよね。(笑)それが出来た時代だった。
ノリタケに入って、2年目か3年目か、(工房に掛かっている照明を指差して)このランプを三点セット作って、グッドデザイン展でグランプリ取ったんだよ。丹下健三、岡本太郎、柳宗理ら蒼々たるメンバーが審査員だったんだけどね。上越に移ってからはそういうデザインばかりやってたわけ(笑)
上越では、色ガラスを使うものをとにかく自由に作って、海外の専門誌に投稿して取り上げられたりしていた。
ある時には、一つのシリーズを提案して、木型、印刷物、ブランドマークまで作って、コスト計算書作って、社長に、これからの会社はこういうデザインをやらないと駄目だと直談判した。もっとデザイン的なことをと、、、。これを提案して駄目だって言われたら会社を辞めようと思っていたけれど社長が「やりなさい」と言ってくれて、それで自分で木型発注して制作して進めた。そのようにしながらますます独立心は強くなっていってついには独立した。
辞めてすぐはもの作りで食べられないから、暫くはデザイン。を仕事にした。世の中っていうのは面白いもので、この先どうしようかなぁと思っていた時に、ある人が缶を作る会社を紹介してくれて。カンカラカン。そこの社長さんがステンレスにメッキをする国際特許とったので、それを生かして商品を作りたいのだけどということだった。僕は工場にいってその缶を見て、ステンレスで鏡を作るなんてやめなさいって言ったんだ。それよりも、今ある缶に色を塗っちゃえば商品になるって提案した。様々なサイズの缶にカラフルな色を塗るってね。社長は「そんな空缶を何も入れずに売れますか?」って言われたけど僕は「絶対に売れる。」と言った。その後、西武百貨店や松屋などで販売。当時のデザイン界で話題になったんだよね。デザインではいろいろな仕事をしてきた。
独立後もデザインの仕事をしながら、上越クリスタルでご自身の作品制作も続けていらしたとのことですが、デザインの仕事に対して、ガラス制作はどのような違いがありましたか?
=個の表現。アートに徹するということ。どんな手法であれ、ガラスを生み出すことが大切。生み出そうとする人の個性や感性が宿っていること。元気な内は一貫してやっていく。できなくなったら「はい、おしまい。」と。(笑)二代目ピカソは無いのだから、そのひと個人の美的表現、芸術表現だと思う。
制作テーマにしていることはどんなことですか?
=僕のガラスは一つのコミュニケーション。自分だけじゃない。「私、ガラス大好き」で終わっちゃいけない。世の中は人と人との交流で成り立っているわけだから作品を出して「どうでしょうか」と社会に語りかけるものを作りたい。そしてそれを見た人が感じる。作品を媒体としたコミュニケーションであり、作品は見る人に“語りかける”もの。そして何を語りかけるかというとイメージが大事。具象的な物が伝わりやすいよね。〇〇みたい。〇〇のようだねと感じる。パッと見て元気が出るものがいい。夢が有るものがね。
「何の為に作るの?」と常に自問自答しながら作っている。同じものは作らない。常に新しいものを作る意識を持って、そしていつも“見てくれる人”がいることを想像してデザインしている。
グラスデコールというタイトルで展覧会をされていますが、これについてお聞かせ下さい。
=当時はもの派の時代だった。ガラスはアートだという人から言うと、装飾性は馬鹿にされているところもあった。私も北欧のシンプルで無機質なものばかりデザインして来た。だけどこれではダメだと思った。個の表現が大切なのではないかと。それで、形の上でも、色の組み合わせでも、“装飾性”を意識して実験的に制作し始めていた。作家が個性を出して独自なものを作っていく為には、「装飾性」が重要であると考えた。「装飾」じゃないよ「装飾性」。同時期のポストモダンにも共鳴していた。
それで「ガラス」というものと「装飾性」というものを一緒にした「グラスデコール」という言葉を作ったんだ。
ちょうどその頃、藤田喬平先生から高島屋で展覧会をやらないかというお話しがあり、第一回目の高島屋の個展で“グラスデコール”を旗印に宣言した。
誰が見たってピカソはピカソ、すぐにわかるわけ、そういうものがにじみ出てきているわけだよね。ガラス作家もそういうふうにありたいなと思う。善し悪し、好き嫌いとか技術の上手い下手はどうでもいいこと。個。独自のもの。独特のものが出ていることが大切。見た人が「あ、これ横山のだろ」と言われるくらいのものがいい、それが藝術。
日本ガラス工芸協会に入会した頃はどのようでしたか?
=岩田久利氏、藤田喬平先生が協会を作ろうと発起人となって作家、デザイナー、職人さんなど、いろいろな人に呼び掛けていて、その時に声をかけられ、第一回目の総会を迎え日本ガラス工芸協会が発足。だから創立会員。今では協会の創立会員は、数人しかいなくなってしまった。私が上越クリスタルにいた頃だよ。
日本ガラス工芸協会の創立は、どんな目的があったのですか?
=何か大きな志とかそういうことではなかった。ガラスをやっている者達が集まる。当初はプリミティブな集まりだった。目的の一つは親睦。そしてもう一つは美術界におけるガラス作家の地位を向上しようという考えがあったかもしれない。
僕は親睦でいいと思っていたんだ。僕が理事長になった時に青臭いけど「グラスファミリー」って言った。それを一つ打ち出していった。
グラスファミリーというのは一言で横山さんの考えと協会の目指す姿を言い表していて、とてもデザインセンスがある素敵な言葉だと思います。
=それまでの協会内の雰囲気は大変なものだったからね。それに対して“親睦を深めよう。仲良くやろう。”という気持ちだったんだね。
協会が今後どのような姿になっていったらいいと思いますか?
=(しばらくの沈黙、、、)やっぱり、グラスファミリーだな。ガラスの元にみんなが集まる、そういうものを大切にしたい。作家が集まり、作家同士の心の交流をする。美術的、文化的に高めていく集まり、それが基本で、そこに立脚した活動を進めていってほしい。
将来的に少しずつ協会も大きくなっていくでしょう。そうした時にガラス制作発表だけでない協会会員の業務負担は今後大きくなると思う。みんなで分担して理事長をしっかり支えていってほしいよね。
最後に一言ありましたらお願いします。
=人それぞれ、価値観は全部違う。“自分の価値観”それを出して行く。まわりの声を気にしないで、自分というものを表現することを進める。自分の信ずること、価値観、感性を追求して進めることが大切だと思う作家活動はそれに尽きると思う。
若いうちはそういう周りの声というものが気になるけど、そういうものから解放される。自己解放して制作に繋げることが大事だよね。
〜インタビューの中で時にはじっと考えを巡らし、一つ一つ丁寧に言葉を選んでお話ししてくださる姿が印象的でした。そして胸に秘めた“もの作りに対する熱い思い”を感じました。協会に対しては控えめに後ろから温かく見守ってくださるスタンスです。沢山の勇気をもらって、横山さんのスタジオを後にしました。どうもありがとうございました。
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